2022年8月27日土曜日

夏は人生初


三島のことです。


僕は24日三島に行きました。今月は級が上がっていないので、もし来月もそのままだったら、昇段試験を受験できなくなります。先生のご指導をしっかりもう一度お聞きし、清書を出したかったです。

顔真卿が嫌い、好きじゃないと考えたのが間違いでした。今更気づいたのです。何でも書ける人になるのが基本です。


さて、24日は子供のお稽古の日で、お稽古を見学させていただきました。14時から17時半まで三時間半もずっと書いていました。素直さ、丁寧さの溢れる子供たちの様子に感動していました。お稽古が終わったら皆んなが沢山プレゼント🎁くれました。折り紙!お手紙!和菓子!夜ずっと手紙を読みながらニコニコして寝ました。愛が溢れる房仙会です💕



翌日25日先生が箱根山に連れて行ってくださいました。スリランカは火山も温泉もない国です。







温泉池で茹でた黒卵もいただきました。


昼食は山のホテルでお寿司をいただきました。勝手にお寿司を選んでしまいましたが、とても美味しかったです。スリランカに生物・生肉や生魚を食べる習慣がありません。最初は大変でしたが、日本食が大好きなので諦めずにどんどん食べていて、今なんでも(うにを除ぎ)😅食べられるようになっています。






帰ってきたら先生達と一緒にスリランカのカレーを作りました。ココナツミルクの代わりに豆乳入れたのですが、味はそのままでした。カレーは入れるスパイスの量が大切です。何回も作ってお好みの量で入れて、材料を溶けないうちに作り上げるのもスリランカカレーも独特です。そのために火の強さに気を付けるしかありません。なれたら、30分もかからないうちに作れます。母は毎朝一時間で6人分を作っていました。

食事後いっぱいお話をしました!会話の中で「全国命の食育書道展」が話題でした。初耳のことばかりです。書道展の後ろにあった先生たちの努力、苦労、出会いのお話をお聞きしながら頭の中でその時を想像しました。

写真を見ていると!見つけたこの写真が皆様に見せずにいられませんでした。






書道は誰でも楽しめる芸術であること、

書道には限界と言う事はないこと、

そして、努力は自分を裏切らないというといも分かりました。

また新たな房仙会を知りました。


お昼ご飯は連日、「十割そば」と「オリーブそば」でした!食事の時間は食養講座のようで、光孝先生に食養について色々お話を聞かせていただきました。日本に生活しながらどんな食べ物が健康に良いのか、悪いのか教えてくださいました。





夕食は房仙先生のお手作りの餃子をいただきました🥟!一回しか食べた事はなかったのですが、やはり手作りの餃子が一番美味しいです!



僕が三島に来た時すでに多くの方のお清書が届いていました。良い作品を選んだり、繰り返しの封筒に書統やお手本などを入れたりするのにお手伝いしました。簡単そうに見えても50人の書類を片付けるは一苦労でした。

ようやく書統を郵送した後、光孝先生と「湧き水」を見に行きました。いただきものです!そのままでも安心して飲める水、富士山の水です。







湧き水が流れる川に沿ったこの道を歩いていくと!次にあったのは「みちこデンタル」です。せっかくなので少し覗いで見たら、素敵な書が輝いていました!


https://michikodental.com/


みちこさんが一所懸命お仕事中でしたので、だまって帰ってきました。


ようやく昨日の朝富士山が見えていたそうですが、残念ながら僕はその時寝ていました。

三島は良い町です。寂しくない町です。豊かな町です。

ありがとうございます。

https://youtube.com/user/bousenkai

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2022年8月20日土曜日

言えないことも言える

 こんにちは!

暑さがまだまだ続く日々です。皆様はお元気でお過ごしでしょうか。僕はスリランカ人で温度の激しい変化に慣れていません。しかし、お陰様で元気で日々過ごしています。これから自然がどう変わってくるか、生活がどう流れていくか楽しみです。




今月もオンライン書道レッスンに参加させていただき新たなことを沢山学びました!4月から習っているのは顔真卿の楷書です。





去年、行成の書を学ぶ時「できるでも明らかになっていない」と言う気持ちが多かったのです。先生のご指導をしっかり頭に消化して再現して見ると行成を殆ど書けました。

顔真卿は全く逆です。

「できない」ということしか感じていませんでした。

筆を変えたら書けると思い、そうしてみると出来なかったです。

顔真卿をもっと調べようと思って調べてみたら、それでもダメでした。

何も食べずに体が震えてきたら書くとガタガタする線が書けると思いそう書いてみたら、筆さえ持てなかったです。

どうすれば書けるか⁉️自分がなぜ出来ないのか今月のお稽古で少しわかりました。

「目の付け所が悪いからです」と先生に教えていただきました。つまり見え方が違いました。

顔真卿を調べて気になったところがありました。

時代が変化しつつあった中唐の時住んでいた顔真卿は篆書をベースにした力強い楷書を書いていたそうです。私たちが今学んでいるのはその楷書で、

もう一つ顔真卿の行草書は心情が強く反映した豪放な字であるようです。

「つよい!」


あんなこんなことを考えながら今お清書をしているところです。

今月はすごく元気をもらっています。朝日新聞社様がまた房仙会の記事を紹介してくださいました。皆様もお読みになっていただいたでしょうか。

https://www.asahi.com/articles/ASQ8M74ZCQ7XPLZB006.html

僕はそのデジタル記事を読んで気づいたのです。

記事は文化・芸術ではなくIT・技術のところにあるということです!













芸術と技術の交じり合った房仙会の魅力に改めて感動しました。


いつもよく言ったり、言われたりすることですが、僕は中々話さないほうです。こう言う記事を通して房仙会の皆様に伝えられる事が1番嬉しい事です。

言える言えないではなく、言うか言わないかのことです。伝えたいことを言ったらみんなに伝わると言うことを学びました。

みんなの喜んでくれる顔をイメージするだけで元気になれます。

今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

https://youtube.com/user/bousenkai

https://bousen.com/?fs=e&s=cl


2022年6月23日木曜日

つながり~

皆様こんにちは

紫陽花が咲き誇る6月も後7日間で終わるこの時期になりました。倉敷は蒸し暑くなりましたが、周りの眩しい緑の世界から涼しげな風が吹き続けています。時間は早いものです。私も毎日時間と争いながら、まだはっきり見えない夢のために備えつついます。

いよいよ来月の3日、3年受験を待っていた日本語能力試験日です。コロナ禍でスリランカでは試験が3年間行われてていなかったのですが、やっと来日もできましたし、今度こそ合格したいです。

さて、今回のブログでこの度、京都壬生寺での私の経験を述べていきたいと思います。

小さい頃日本へ行きたいなと思って、調べてみたら「花の都〜古都京都」という街が出てきました。日本文化が最も残されている京都の美しさを海の向こうにいながら画面で見て感動していました。いつかぜひ行ってみる。いや、京都で住む!と夢を見ていました。

房仙会は夢を叶えるところです。

「いのち」の「い」は「生きる」、「の」は「望む」、「ち」は「親に借りている血」と教えてくださっただけではなく、生徒を望ませてくれるところです。そんな房仙会のお陰で、京都へ行く夢がやっと叶えられました。それだけではなく、京都壬生寺で先生と共に揮毫も行うことになりました。僕は心の中を外に見せるのが苦手な人ですが、この嬉しさを皆様に伝えずにいられません。

611日朝早く倉敷から出発して京都につきました。

久しぶりに秋沢さんにもおあいできました!












午後、先生と先輩達と一緒に京風の「おでん」をいただきました。初体験です!暖かいおでんだけではなく、冷たいおでんも!初めて味わいました。その時改めて感じたことがありました。日本食って、そのものの美味しさを楽しむ食文化なのです。ただ出汁を入れて煮るだけで自然が体をつながる。スリランカにめったにない文化なのですが、私は大好きです。





皆様のこの笑顔が、決して忘れられないです。













いよいよ612日、第二回房仙会書展壬生寺移動展の日がやってきました。



朝、目が覚めた瞬間からドキドキする。自分が住みたい国住みたい街で、愛されている人に囲まれて書く字はどんな字になるかすごく楽しみですが、緊張もどんどん上がっていました。

命、文化と未来〜ずっと頭の中でいろんな形で書いてみながら、待っていました。

先生に壬生寺で文化と書くことを決られたとき私は本当に驚きました。。小さい頃から文化が大好きな私は2016年ある日本語弁論大会で「私にとって一番大切なこと」というテーマでスピーチをしました。何について話したかというと「文化」についてです!自分が一番大切だと思っていた「文化」!先生に揮毫することに決められたとき私はびっくりしました。その際先生に「ラヴィンドゥ、それは予知能力というんです」とおっしゃいました!

書を通して心がつながる。それが房仙会です。

彩華さんと先生三人で書く字を決めていましたが、どんな紙でどんな筆で書くのかは12日壬生寺に行くまで彩華さんも私も知りませんでした。二人でどう書けば「命」の字を完璧に書けるのか相談していました。



一度も揮毫したことのない私にはただ目の前にあるこの字を頭に刻んでおくしか、ほかの方法がありませんでした。刻んでくれたのは彩華さんです。


先生に揮毫に使う筆を見せていただきました。一度持ってみましたが、まったく姿勢が悪かったので、先生が手を取ってくださいました。







筆~













ただ「ふで」とは読んでいるのですが、

つながりになれば、つながりになる~

懸け橋になれば、懸け橋になる~

命になれば、命になるのです。

筆はそんな力のある物です~



書くときは、頭が真っ白でした。「真っすぐ長く~いうこと聞かない筆に負けてはいけない」ということだけ頭に残っていました。




命は流れる川である。誰でも自分の命が好きです。みんなが幸せで生きていける世界が、戦争や争いで消えていくそうになっている今日、世界平和を祈りながら          
   三人でこの字を生み出しました。

翌日からまた花が咲き誇るように新聞社様が次々に記載してくださいました。







 




























「命」の字が壬生寺の阿弥陀堂でこのように展示されています。






皆様もぜひご覧になり、この世界をもっと素晴らしい世界にするために自分なりにできる小さなことを考えていただければ幸いです。

 




今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。


2022年6月5日日曜日

自然のままで~

皆様、こんにちは❣

倉敷はだんだん暑くなってきています。ところが、今日は暑くもなく、寒くもなく珍しくて爽やかな緑の溢れる朝が訪れていて、相当快適な気持ちでした。

忙しかったけど、日曜日の昼食はこんな感じで作れました。

京都壬生寺で行われる【房仙会移動展】まで後一週間です。房仙先生と光孝先生はじめ皆様にまたお会いできるその望ましい日を心豊かに首を長くして待っています。房仙会のこの一点の曇りもない旅に私にもお力添えができてとても嬉しいです。

さて、6月のオンラインレッスンも1日から始まりました。今月も3回先生のご指導を受けさせていただいき、お清書を出したいと思っています。課題は顔真卿(がんしんけい - 景龍3年〈709年〉 - 貞元元年8月3日〈785年8月23日〉によって書かれた麻姑仙壇記(まこせんだんき)からの【南城】という字でした。読み方は【なんじょう】です。4月から顔真卿の字を学んでいますが、お手本通りに字を書けないのはどうすれば良いかまだまだ調べている私です。もっと男性っぽく書かないといけない、人格を変えないといけないというところもあり、自然のままでは書けない字です。衝撃なのは、あんなに自然の法則から離れた顔真卿の字も同じ基礎基本であることです。

行成の字ほどは好きじゃないのですが、この字をみていると本当に顔真卿は人生に挑戦した人だなと思いました。政治家でもありながら、自然に流れていく線ではなくて、自分流に生み出した字を記されているのもすごいなと感動しています。

顔真卿の字では横棒はほとんどお団子を作って書く形で、逆筆で入って書く線もたくさんありました。そして、もう一つ物凄く気になったところは、同じ字でも始筆がさまざまな方法で書くことでした。本当に顔真卿の字を臨書する際に「書く」よりは「作る」、「流れていく」よりは「流す」ところが多いんじゃないかなぁ〜と思いながら書いています。先生が何度もお稽古でおっしゃった、顔真卿のその字を書いた気持ちはどんな気持ちかなかなかわからず、臨書しています。

ところで、顔真卿の書について調べてみたら、楷書だけではなく行書の作品も記されているそうです。その中でも、【争座位帖(そうざいじょう『争座位文稿』とも)】と【祭姪文稿(さいてつぶんこう)】という古典が有名だそうです。

争座位文稿

祭姪文稿

今までも行成の行書を学んできまして、顔真卿の行書はどんな字になっているのかを調べるのにとても感心を持っていました。早速、争座位帖と祭姪文稿の字をみた時、細太のめり張りがすごく伝わってきました。
私はまだおおぎしとくうかいを学んだことがありませんが、その書家の字はより自然っぽくてとてもすっきりした心で書いているのではないかと思っています。

顔真卿の字を学んで、もっと自分と戦いあいたくなりましたが、どうしても自然のままで生きていきたい私です。顔真卿の字が好きじゃない、書きたくないではなく、ああいう書き方があればこういう書き方もあると理解して一生懸命頑張っていきたいと思っています。

今回も最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

作者:ラヴィンドゥ
編集者:町田樽

2022年5月5日木曜日

★第22回房仙会書展★ 私も、日本も待っていました!

2017年、17才の私は弁論大会が終了後、帰国する際飛行機の窓から「日本!ありがとうございました。またいつか必ず来ますので、待っていてください」と言いました。

待っていました。ずっと待っていました。私も日本も~

嬉しいことも悲しいこともいっぱいあって、コロナもあって、最後の最後に今年の4月日本に来られました。その時も、先輩に関空まで迎えに来てくださったことに大感謝申し上げます。短い時間でしたがにこやかにしゃべりながら、とても楽しい時間を過ごしました。私と一緒に来日した友達も案内しながら、新幹線の切符の買い方まで教えていただいたことにも心より感謝しています。

倉敷は桜も満開で、爽やかな季節でした。近所に桜並木があってとても美しかったです。4月11日から大学の授業が始まり、だんだん新しい生活に慣れてきております。
さて、先日(5月1日)第22回房仙会書展が無事終了いたしました。4月29日から3日間5月1日まで東京銀座鳩居堂画廊で今回の書展を行われました。私の初の出品で、今回は「謙遜」という言葉を書かせていただきました。他にも約50人の先輩の作品と房仙先生と光孝先生の作品が発表されていました。
ありがたいことに、時々雨が降っていたにも関わらず、多くのお客様がお越しくださいました。



29日に書展が開催されるので28日の午後岡山から出発して、18時半ごろに東京につきました。その際も里美さんと圭子さんに迎えに来てくださいました。それから皆様と一緒に夜ご飯をいただきました。

翌日、朝食後、先生と実際にお会いするのをものすごく緊張していました。何を言えばよいか、同挨拶すればよいかずっと考えていました。しかし、先生にお会いした時何も言えずに無口になってしまいました。「嬉しいです!」と先生も私も同時に言い抱きしめました。ずっと先生お二人を見ていました。夢のようでした。


私は日本語と書道を学び始めて10年間になるところです。おしんを見て書道に関心を持ち、書き始めたわたしの夢であった自分の作品を書展で発表するということが、叶いましてとても嬉しいことと思います。今年3月上旬の頃に先生にラヴィンドゥも書展に出品しましょうと言われ、1ヶ月間ぐらい作品の練習をさせていただきました。実は元々は「謙遜」の言葉を隷書という書体で書くつもりでした。

しかし、先生に行書体に変更され、こちらの作品を書きました。スリランカから郵送するのは大変ですので、およそ150枚ぐらい練習して、来日してから書いた作品を出品しました。

謙遜は「へりくだること、控え目なつつましい態度でふるまうこと」という意味で、私はどんな気持ちを込めて書いたかというと、今年の4月に房仙会に入会して一年になりました。この1年間の中で、房仙先生と光孝先生の教え、そして房仙会の考え方などがとても興味深くて、心に響くことだなと感銘を受けました。その中でも、皆様の先生への思いやりそして先生は皆様の事をものすごく理解されていることが大変印象的です。

房仙会は素晴らしいところになっているのはその「相互理解」と「思いやりの心」があるからと私は思っております。そう言う事で、人間として生きていると「理解力も思いやりも」とても大事だということを込めて作品を書かせていただきました。

今回、先生お二人、厚先生と大和さんの作品を見て感じられたもう一つのことがありました。それは自分の作品に書いてある言葉をただ豊かな思いを込めてきれいに書くより、まず自分が作品に書くことを明確に理解し、自分自身が原点に立ち返る。それから作品を書くとその作品の意味も味ももっともっと高まると思います。そうすれば逆に書道を通して自分と向き合えることもできるでしょう。作品で何を書くかを簡単に決めることではなく、本当に自分との戦いだと私はおもっています。

書展終了後、三島の先生のご自宅へお邪魔させていただきました。先生お二人とみちこさんと一緒に柿田川公園へ連れて行っていただき、湧水も見ました。柿田川湧水は富士山など上流に降った雪が地下水となって国道下から忽然と勇き出る水です。とても清らかな青い水で、飲んでみたらさっぱりしました。


帰り道、道穂さんにもお会いできました。
とても素敵なお店でした。

また先生のご自宅に戻ったら、先生に「ラヴィンドゥ、命を書きましょう!」と言われ、あっちこっち元気に走りながら、紙や墨液を用意されました。まず一人で書いて、先生に添削していただいて、2回目は先生と一緒に書きました。


3回目と4回目も書いたら、5回目はこんな作品が書けました。大きな筆で書く時は穂先の全てに墨液をつけると今まで思っていましたが、実はまず穂先を硬水で濡らして、命毛の分だけに墨をつけます。力を入れすぎると紙を破れてしまったり、力が足りないと白いところが出過ぎたり、座って書くと全く違うんだなと感じられました。あんなに大きな筆で書くのも夢でした。

三島で改めて感じられたことは、房仙会は夢を叶えるところです。自分に向き合える、生き方を学べるところです。

残念なことに、富士山は恥ずかしがってなかなかお顔を見せてくれませんでした。先生にわざわざ山側の席のチケットを買っていただいたのに、富士山は「また今度来てください!」と私に言っていたのかもしれません!
倉敷に戻って以前よりも寂しさを感じています。また、皆様にお会いできる日を心待ちにしています。

作者:ラヴィンドゥ
編集者:タルー




夏は人生初

三島のことです。 僕は24日三島に行きました。今月は級が上がっていないので、もし来月もそのままだったら、昇段試験を受験できなくなります。先生のご指導をしっかりもう一度お聞きし、清書を出したかったです。 顔真卿が嫌い、好きじゃないと考えたのが間違いでした。今更気づいたのです。何でも...